こころとからだに潤い!!法話会


毎月 第1土曜日 午後1時半〜3時 

ご自身の宗派不問 参加費用 お賽銭 途中参加でも大丈夫です お子さま連れ可 車での方は駐車場をおたずね下さい
1:30読経 2:00ご法話 易しい言葉で語ります 3:00茶話会 4:00終了

  
  超光寺花見法話会の様子              お彼岸法要             坊守も読経できるらしい   

    例話1   新幹線で仏さま

    例話2   仏さまの願い

    例話3   対機説法

    例話4   成道せり


例話1      新幹線で仏様  
 
しばらく前、新幹線の中で仏様に出合いました。こういうと変に聞こえますか?でも出合えたことは私にとって大きなそしてとっても嬉しいことでした。
 
乗った新幹線は「のぞみ」号で、京都から東京まで。ちょうどお腹を空かした一時出発でした。列車の売店に駅弁を買いに行きました。売店に着くと店員さんから売り切れを告げられ、がっかり。仕方なく自分の席に戻ろうと振り返えると、乗客の半数がお昼寝をしている事に気がつきました。その中で目に付いたのは、京都駅で隣の入り口から乗り込む二人の「べっぴんさん」でした。私は「何だ、こんなとこに居たのか。こんなに近いんだったら私もこの近くに座ればよかった」などと考えました。一人は下を向いて寝ています。なにやらキラキラと輝く細い蜘蛛の糸のような一筋の滝が見えます。隣のもう一人は上を向いて寝ています。大きなお口をポカンと開けています。「あらあら、別嬪さんもこんな寝姿では台無しだな。起してあげようかそれともそのままほって置こうか」でも起された方は恥ずかしいだろうと考えそのままにしておきました。縁無き人だものどうする事も無いように考えたのでした。新幹線は名古屋を後に静岡の段段畑の中を走っていきます。目に飛び込んできたのは綺麗な茶畑です。青い空にお茶の葉がとってもコントラストで感動ものです。しばらく行くと富士山が雲の帽子を被って登場してきました。日本晴れの富士山はひときわ往々しく日本一の山というだけの事はあります。新幹線は進みます。神奈川に入るとまた風景が変わってきます。だんだんと海が近い事を告げるようになります。焼津当たりをぐいっと曲がるとすぐ横浜駅を通過します。車内アナウンスが通過を告げます。「ただいま時間どおり新横浜を通過中です。間もなく東京駅に到着いたします。どなたさまもお忘れ物なきようお手回り品にお気を付け下さい」嬉しい言葉です。もうすぐ目的地に到着する安心できる言葉でした。寝ていたあの別嬪さんもまもなく到着するでしょう。寝ていた人も起きて景色を楽しんでいた人も、老いも若きも男も女も必ず到着する。そんなアナウンスです。私たちはそれぞれ人生という列車に乗っています。終着駅はいったい何処なのでしょうか?どこへ行こうとしているのでしょうか?仏教はこれに対して明確な答えを与えてくれます。どなたも間違いなく生まれる事のできる浄土極楽安楽国を構えてくれました。そして、その国に生まれる事を仏の側から誓ってくれているのです。必ず必ず届けるよ。間違いなく生まれるよ。安心して人生を楽しんでくれよ。そんな言葉が南無阿弥陀仏。「安心して任せておくれ、あなたをそのまま浄土に生まれさせるよ、仏の智慧を与えて立派な仏様に仕上げるよ」と告げてくれます。私たちはみんな仏様の世界に向かって人生を送っています。でもまだその事について眠った方もおれば、気づいてない方もいます。出来れば大きくその眼を開けて、人生を楽しみたいものです。実際仏の姿仏の声を聞くことはないかもしれませんが、仏の誓いを味わうことが出来ます。そのお心に触れ、大いに喜ぶことが出来ます
せっかく乗った人生列車、すばらしい旅にいたしましょう。あなたにもきっと聴かれるはずです。もう間もなく終着駅です。安心して下さい。必ず到着いたしますと。
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例話2  仏さまの願い
仏さまの願いは、(一切衆生すべての人を抱き取り、極楽浄土に生まれさせたい。一人も漏らすことなく無上涅槃の仏の悟りを得させたい。と言われています。私には三人の子供がいます。十歳の男の子、七歳の女の子、四歳の女の子です。私が帰宅すると真っ先に真ん中の女の子が迎えに出てきます。「お父さんおかえりなさい」そういって両手を高く差し伸べてだっこをねだってきます。右手で抱きあげると首に巻きつき「お父さん大好き」とほおずりします。続いて下の女の子も飛び出してきて、お姉ちゃんの真似してだっこのおねだり。今度は左手で抱き上げますと、やはり首に巻きつき「お父たん大ちゅき」とほおずりしてきます。可愛い我が子からこんないたわりを受ける私は仕事の疲れもどこへやら。しかし間もなく妹の足が横に伸びて姉を蹴りだしました。どうやら私を一人占めにしたい模様です。私は「これ、お前はおてんばだけれども、足で蹴るとは行儀が悪いぞ。それにお姉ちゃんのお腹が痛くなるから止めなさい。なあ、お姉ちゃん。」しかし、姉の方は答えません。よく見ると姉の方は黙って私の首の後ろから腕を回して、妹の髪の毛をしっかりと掴んでいるではありませんか姉の方も同じ思いでした。一人占めにしたいほど愛されている私の顔はにんまり。でもよく考えてみると私にはもう一人子供がいます。一番上のお兄ちゃんを私は抱いてやることができません。仏様に千手観音というお方がおられますが、あの方ですと千人は抱き取ることが可能なのでしょうか。私は人間だから二人がやっと。阿弥陀様はすべての人を抱き取るお方だと聞きます。一体どれくらい多くの救いの御手をお持ちなのでしょうか。それから、私の胸はそんなに広くないのですね。抱いているのはどちらも可愛い我が子であるはずなのに、その二人が喧嘩しなくてはならないなんて。阿弥陀さまの用意されたお浄土とは、すべての人が生まれて往かれても揺らぐ事の無い力を備え、そして争う事も喧嘩する事も必要の無い広い世界なのです。すべての人を等しく救い取り、救い取ったら二度と放すことがありません。しっかりと弥陀の胸に包まれた人生を歩かせていただきましょう。口に弥陀の御名を称えて日々を暮らしていきましょう。阿弥陀様、こんな私を見捨てること無く限りないお慈悲の心で包んでいただけるのですね南無阿彌陀佛。限りない智慧の光でわたくしの人生を照らし励まして下さるのですね 南無阿彌陀佛。」お念仏に薫る家庭を築きましょう。

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例話3   対機説法 (たいきせっぽう)
お釈迦様の説法はその人に応じた形で説かれました。人はそれぞれ能力学力経験が違います。その人に一番相応した教えでもって「覚り」「安心」と言う事を説き広められました。
何年か前、下の妹がようやく歩き始めた頃小学生の兄の玩具に興味を示し、彼の横から強引に奪いに行った時です。母親は「いいじゃない、すぐに飽きるから貸してやりなさい」。しぶしぶ自分の玩具を差し出しました。
しばらくして玩具を放り出す妹が次に狙ったのは真ん中のお姉ちゃんのお人形でした。いつもなら我慢強い妹思いの姉は、何でも快く貸すのですが、今回はちょっと違っていました。よほど大切なお人形と見えて、妹の催促に少し戸惑いがち。それを観ていた母親は「お姉ちゃん、貸すなー、逃げろー」これには私もびっくり。さっきは「貸せ」と言い今度は「貸すな」と言うその心はいかなるモノなのでしょうか。
人間は百人が百人それぞれに性格や個性を持ち、一人として同じ人間はいません。それと同時に仏さまの救いも様々。一人一人に応じた形でいらっしゃる事でしょう。
母の言葉の違いはそれぞれに掛けている願いの違いなのでした。小学生の兄には人に優しくあってほしいと「貸してやれ」と言い、姉の方には自分の気持ちを素直に伝えられるようになってほしいと願い、妹にはこの世は自分の自由にならない事もあることを伝えねばならないのでした。それぞれの性格個性を十二分に知り尽くした上で、惜しみなくその愛情を振り向けた結果なのです。
阿弥陀様はわたくしの隅々まで知り尽くし何処までも付いてきてくれます。たとえ世間から無視され、人から嫌われ、一人寂しく生きようとも阿弥陀親様だけは見放すことなく限りないお慈悲の心で包んで下さいます。そして私の人生を満面の笑顔で称えてくれます。この世に生まれてきたことは最高に幸せです。いつでも どこでも 私の事を心にかけ、ひとときも忘れる事の無いお方、あなたが見ていて下さるから私は今日も生きて行けそうです。 合 掌
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例話4   成道せり (成道会布教大会より)
「目覚めの宗教」「覚る宗教」「気付く宗教」が仏教です。ずっと前からそこに存在していた事柄に気付く。私が願われていた本願のこころに目覚める。そういった事を仏教は教えています。
みなさんは朝起きるときに目覚まし時計をお使いですか?若い人やお仕事の方は割合使っているようですが、年齢と共に不要になるようです。朝、目覚ましが鳴って目を覚ました時、目が覚めたから朝が来たのではなく、朝は既に来ていて、そこへ私が呼び起こされた事に気が付きます。朝は、私が起きようと起きまいと来ていたのです。
仏の救いとは、私の請・不請を問わない。仏の願いとは、私の覚・不覚に関わらず私をずっと包み込んでいるのです。
太陽は東の空より昇り、西の空へ沈んでいきます。私の力の及ぶところではなく、身勝手な私をずっと見つめていてくれる。そんな仏を阿弥陀様と教えてくれたのがお釈迦さまでした。阿弥陀様は見つめているだけではなく、私を覚りの世界へ導いてくれます。浄土という世界を構え、全ての人を迎え入れ、阿弥陀(無量のいのち限りない智慧)と成らせて下さいます。
お釈迦さまは、その一生涯で「して見せて、言って聞かせて、させていく」事を実行された方です。人間ゴータマ・シッダルータとして生を受け、覚りを開いて見せ、説法としてそれを説き、多くの人に同じ覚りを開かせた。目覚めること気付くことの大切さを教え導いて下さいました。
眼鏡をお使いの方は経験がある事と思いますが、「眼鏡がない 眼鏡がない」と大騒ぎをしたあげく、頭の上に乗っていた。そんなことは無かったでしょうか?私が気付く前から眼鏡はあったのです。私が見つけたから眼鏡があったのではなく、眼鏡を見つけられなかっただけなのです。
私にかけられている「救わずにはおれない」の願いは、既に阿弥陀様が大善大功徳をお念仏に内包して私と共にいらっしゃいますこと味わいましょう。深くお聞かせ頂きましょう。今後とも仏教聴聞(深く味わい聞く)に勤しみましょう。             合掌

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