本文へジャンプ
天然石アクセサリー店   Jugem 

〒340-0034 埼玉県草加市氷川町2132-6 048-947-4072

天然石で作ったブレスレットなど、素敵な石を取りそろえ、構成も気に入るまでデザインさせていただいております。お客様のわがままを最大限に実現する事をモットーとしております。

天然石アクセサリー・スーパーストーン【超石屋】Jugem店主 七里順量

 イベントのお知らせ スピリチュアル講座 お祭り宴会 教室開催


完成品ブレス

  →完成品のページ

厳選された石をお選びし、当店でデザインされたブレスレットです。
クリスタルクォーツ 3,000円
オニキス (8mm) 3,000円  (6mm) 2,500円
キャッツアイ ピンク イエロー ブルー(8mm) 3,000円
タイガーアイ アメジスト 天眼石 カーネリアン ハウライト
ローズクォーツ ネフライト アクアマリン ムーンストーン など


大きさもその場で手直しさせていただき、ぴったりとした装着感で、貴方にフィットした完成品をお渡しいたします。








自作ブレスレット

@ お好きな色、大きさの石をお選びいただきます。
A 作成台にてデザインを考えます。
B シリコンゴム(モビロン)でつないでいきます。
C 大きさを調整して完成です。

お客様ご自身で行う事も可能です。
世界でたった一つの貴方のブレスレットが完成です。

もちろん石の持ち込みもオッケーです。
お持ちのブレスに合わせてデザインするとまた素敵です。



浄化方法

石は時として疲れるようです。いのちが有るようで無いようでよく分からないのですけれど、なんだか疲れた感じに思えたら、貴方も石の気持ちが分かるスートンマスターなのでしょう。

水晶クラスターの上でちょっと一休みするのが一番です。

石に一番優しいし、ゴムを痛める事もありません。しばらくクラスターの上に載せるだけで見違えるようになります。


お店には大きなクラスター(浄化専用石)が置いてあります。ご自由にご利用ください。


ブレスレットの由来

 手にしていた珠数をもっと常時身に着けられるように「腕輪念珠」に変化しました。紐が出ていると生活に支障があるため今の紐無しに収まったのです。
 珠数には親玉(仏様)と小玉(神様)がはめ込んであり、常に仏様に護られた日常を送る事を喜びとして身に着けております。嬉しいときも悲しいときも苦しいときも、常に倦(あ)きることなく私の事を心配し、身を乗り出して気にして心に懸けて、照らして下さっている仏様がいる事を忘れないために装着して下さい。
 小さな目標も沢山ありますけれど、人として生まれてきたことを最大の喜びと感じられるようになったら、本当の意味でブレスレットが輝くのです。


世界一

 私は世界一力のある石を持っている。この石はどんな石よりもパワーがあり、いつも私が寝ているときでさえ私にはたらき続け私が石の存在を忘れているときもずっと休まず見守っていてくれるのです。
 この石には全てのものを引きつける力が備わっていて、しかもこの世界にたった一つしか有りません。誰のものでもなく誰かに所有されるものでもありません。しかし、だれもが知っていて、誰もが使う事が出来るのです。その名前は「地球」です。この石は全ての石の力を秘めておりどんな石よりも綺麗で誰もが大好きです。こんな完璧な石を私は持っているのです。






ブレスの装着法

 通常、左手首に装着します。
理由1、右利きが多く、日常の作業のおじゃまをしないように配慮している。
理由2、インドの右は物を動かす手、左は保持をする手という習慣から。浄不浄も意味もあり。
理由3、体の装飾品の腕時計と一体として付ける

しかし、特に目立たせたい時や左利きの場合などこれに該当しないこともあります。

当店のような貴石のブレスレットは、シリコンゴムやナイロンコートワイヤーでつないであることが多く、水分をあまり好みません。水気の多い仕事や汗が多い時はゴムに良くないと考えられます。お風呂の時は一時お休みしてください。また、石も水を多少吸い込みますので、汚れたときはきれいな水で洗ってあげるだけできれいになるものです。


念珠
(ねんじゅ)
仏さまを礼拝する時、手に掛けて使用する法具。親玉、ボサ玉、主玉、小玉で構成される。
親玉=仏さま
ボサ玉=仏が従がえる菩薩たち
主玉=正式には108個で、半分の54、三分の一、などがある。人間は煩悩具足であることを表現。
小玉=仏法者を守る神々。四天王。半分の2小玉がそれを表現している

人間は煩悩(欲、怒り、愚かさ)を持ち、生涯これを燃やし続け、欲も多く嫉み妬む心暇なくして、止まらず絶えず消えず。と
煩悩でできた私と仏が一本の紐に通され、神々や菩薩の見守る中、救急大悲の仏さまとして私の人生を共に過ごして下さることを表し、仏の教えのまっただ中を安心して生き抜くことを表しています。